シスター

お仕事で法務局のお出かけ。登記簿謄本の写しを取るべく申請していると、隣に黒衣のシスターがやってきた。おばちゃんだけど、クリスチャンらしい清楚とした雰囲気。へぇ、シスターも法務局に用事があるんだぁなどと思いながら、席に着く。と、一点、シスターの姿に違和感を感じた。靴だよ靴。服装はシスターそのものの楚々とした装い。が、靴が、履きつぶしたような運動靴なのだ。しかも量販店で売ってるような、妙にカラフルでかつ安そうな靴だった。
はじめはそのアンバランスさが妙におかしかったんだけど、よくよく考えてみると、その靴の方がしっくり来ることに気づいた。シスターとして最も大事なのは、そんな見た目じゃない。逆に、量販店で買ったような安い靴を、更にそれを履きつぶすくらいにまで利用していることこそ意味があるんじゃないかって思ったのだ。
仏教の坊さんにしてもクリスチャンにしても、豪華さにおいて尊敬を受けるわけではない。清貧を実践するからこそ、逆に一般のヒト達の尊敬を受ける。形だけの清貧さではすぐに一般のヒト達は見抜いてしまう。本当に苦しんでいるいながら、それでも清貧であるということこそが人々の心を打つのだ。
そのシスターが本当の清貧であるかどうかは解らない。でも、一見違和感を覚えたその安っぽい靴にこそ、真実が見えるんじゃないか。そんな妄想を頭の中で繰り広げた次第であります。かしこ。