折り鶴の少女 サダコ 告知編

DVLから石丸雅理さんが出演される本公演。当日券もあるようですし、お時間のある方も是非ご観覧下さい。
以下公演情報をチラシより転記。
アクティブハカタプロデュース公演 第77回 夏休平和祈念公演
「折り鶴の少女 サダコ」
(作:たいら まさお 構成・演出:伊集院 晃生)
2008年8月6(水) 13時〜 / 16時〜 / 19時〜 (会場は公演の30分前)
アクロス福岡1F円形ホール(福岡市中央区天神1-1-1)
一般前売・当日1,500円 / 高校生以下前売・当日1,000円
時間指定・全席自由
主催・制作:アクティブハカタ
後援:福岡県、福岡県教育委員会、福岡市、福岡市教育委員会、(財)福岡市文化芸術振興財団、NPO法人FPAP、RKB毎日放送、FBS福岡放送、九州朝日放送TNCテレビ西日本TVQ九州放送

八月六日・・・
真夏の青空が一瞬にして消えた日。
「折り鶴の少女サダコ」のものがたりは、
いまの世界の人々に語り継がれています。
原爆投下から十年後の悲劇。
折り鶴に命を託した少女のものがたり。
「平和・命の尊さ・愛する心」を
やさしくそして力強く心に届けます。

朗読:高田豊三(アクティブハカタ)主な主演:TV/火曜サスペンス劇場「取調室」・「東芝日曜劇場」・「春陽だまりの街」・「不老への旅」 CM/九州電力ホームワイド福岡銀行JRA小倉競馬場 ナレーション/「タベルナの夏」・「家においでよ」・TNC「ももち報道K宣言」など、ほか多数
朗読:石丸雅理(児童劇団ほっとぽっけ・DVL)主な出演:CM/福岡県アンビシャス運動〜城タッチ!篇・ベスト電器Jフォンタイアップ・サントリー天然水阿蘇 VP/筑紫高等学校 CD/DVL「ママのニューバック☆拝啓オヤジ様!」 舞台/タップショー「steppin ou」中野ブラザーズ中野章三と共演など、ほか多数
フルート:中西久美(東京芸術大学卒業後、RKBに入社。アナウンサーを経て退社後も司会や音楽活動を両立。フルートアンサンブル・ハーモニーウィングス、コレギウム・プリエール合唱団などのメンバー。NHK文化センター講師。現在、FM福岡「ジャズサイトフクオカ」に出演中のほか、RKB「今日感テレビ」の月・木・金にレギュラー出演中。)
ピアノ:沼口公憲(NHKの情報番組やドキュメンタリー、ラジオドラマなどの音響効果に携わり、RKBラジオドラマの劇判の作曲、舞台での生演奏も行う。Branco(ブロンコ)、アンチムジカのキーボーディストとしても音楽制作を行い、CDも発売。http://oval.moo.jp)
構成・演出:伊集院晃(1991年アクティブハカタ設立。付属養成所アクティス設立。児童劇団ポットポッケ設立。劇団無限設立。無限研究所設立。ダンスパフォーマンス「DVL」設立。シニア劇団設立。上記代表。舞台出演/「創造者たち」「武蔵と四郎」「坊っちゃん」「サダコ」「緑の仲間たち」「すみれ島」「タイムカプセル」ほか多数 TV番組/RKB毎日放送制作「東芝日曜劇場」20本余り「電撃黒潮隊」「故郷忘じがたし候」ほか多数に演出部として参加 ラジオドラマ演出/RKBラジオ筑紫次郎むかし物語」「九州・沖縄むかし物語」計188本ほか多数 ラジオドキュメンタリー/RKB毎日放送制作「娘〜亜希と歩いた22年」日本放送文化大賞九州地区最優秀賞受賞。ほか多数に演出部として参加。RKB毎日放送制作「あの日あの時あの時代〜福岡フォーク物語」第34回「放送文化基金賞」ラジオ番組賞受賞)
STAFF:照明/黒江昭治 音響/サウンドワークス 制作/アクティブハカタ

佐々木禎子のものがたり
 昭和30年10月26日、ひとりの少女の死を知らせる新聞記事がでました。「十四人目、禎子さんの死。原爆症、昨秋から異常訴う」・・・戦争が終わって、10年がすぎたというのに、広島に住むこの少女は、なぜ死ななければならなかったのでしょうか・・・。(たいらまさおせんせいの「折り鶴の少女」から)
 死の直前まで白血病と闘った禎子は、命を託して折り鶴を折り続けました。原爆投下から10年後の悲劇。そこには、原爆の惨さと、平和への悲痛な祈りの物語がありました。
「鶴を千羽折ると願い事がかなうんじゃと」
「えっ ほんま?」
「うちの母ちゃんがいうとったよ」
「そんならうち、千羽折ろう」
 「生きたい、生きたい」と願って鶴を折り続けた禎子が折った鶴は、やがて千羽を越えました。
「千羽折ったのだから、神様は私の願いをかなえてくれるはず」
でも病気は悪くなるばかり。それでも禎子は折り続けました。
「千羽折ったのに神様は許して下さらなかった。だからもう千羽折るの。」
 生きることへの希望を捨てず鶴を折り続けた禎子。神を人を恨むことなく、ただ自分自身を信じ、生き抜こうとした禎子は、私たちに生きることの大切さと平和の尊さを教えてくれます。

原爆の子の像
 1955年11月、禎子さんの同級生に対し、「禎子を初め、原爆で死んだ子の霊を慰める石碑を創ろう」と、新聞で禎子の死を知った青年が提案したのがきっかけで、この像はつくられました。全国中学校長会場で禎子の死を知った青年が提案したのがきっかけで、この像はつくられました。全日本中学校長会場で禎子の同級生によるビラ配りが行われ、全国の中学校より寄付金が寄せられ、その反動が大きかったことから「広島平和をきずく児童・生徒の会」が組織され、募金活動によりたくさんの寄付金が集められたものです。
 禎子の話は、世界の子ども達をも動かしました。1995年8月6日原爆投下から50年後、アメリカはニューメキシコ州のアルバカーキ美術館に、日本の禎子の像に続いて「子どもの平和の像」が子ども達の手でたてられた。地球の形をした像の内側には、色とりどりの千羽鶴がつるされ、外側にぐるりと巻かれた帯には、こう書かれています。
This is our cry
This is oue prayer
This is the world
コレハ ボクラノ サケビデス
コレハ ワタシタチノ イノリデス
セカイニ ヘイワヲ キズクタメノ

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