20090210晴れ

今日も忙しかったです。仕事中ふと今日が10日か11日かわからなくなってしまったり。割と極限状態だと、細かいところで認識が薄れてしまい、業務に支障が出てしまいますな。
この二日間はなかなかの忙しさだったわけですが、それでも明日水曜日が休みだと、気分も身体もまだまだ大丈夫のような気がします。でも、明日はゆったりと過ごすことであっという間に終わってしまいような予感。
帰宅後、今日はお出かけせずに、お酒もほとんど飲まず、部屋にずっといることにした。週末に3分の2まで見ていた「ダークナイト」のDVDを最後まで見た。不覚にも、ラストでまた涙がこぼれ落ちてしまったな。
割と「もういいか」と、ここ数年思う。それでもまだ生きているのは、好きなアイドルさんやグループがいてそれを見届けたいからってものあるが、母親が生きているからまだ死ねないなと漠然と呪いのようなものに縛られているからなんじゃないか。そう言えば先の某日にあった事件で、母親も兄も、私が自殺するんだと勘違いして大騒ぎになったことがあって、でも自分はその時全くそんな気分ではなかったので激しく驚いて爆笑したことがあったのだけど、知らず知らずそう言うものが出ているのかもしれないね。近くにいるからわかるみたいな。でも自分はそうではないと思っているから、驚いてしまう、みたいな。曰く「あんたはそう言うところがある」とのこと。「一応呪縛で捉えられてますよ」とも言えないので、「あり得るわけないじゃん」と笑ったりしたのだけどね。んで、その後の順位として歴史の事項について興味深いとかゲームを楽しむとかが来ている感じか。自分が死んだあとのことについてもあまり興味がなくって驚いたりするな。逆にまだ若いからこそこんな感じなのかもしれんね。でもどうなんだろ。父親のヒトを思う。思ったところで何ともないが。そんなもんか。
逆チョコがよくわからない。逆チョコというのは、思いを込めて渡して良いものなのでしょうか? それとも友チョコや義理チョコの延長で渡すべきものなのでしょうか? そのあたりの前提条件がグラグラとしているので、逆チョコという文字を見ると不安感に駆られてしまいます。ホワイトデーはどうなるんでしょうか? 逆チョコをあげればホワイトデーはあげなくて良いの? 日本の風習としてのバレンタインデーがあり、それにあれやこれやらがゴチャゴチャと混ざって、よくわからないや。でも一方で自分も社会的な生き物だから選択をしなきゃいけないわけで、戸惑いばかりが先に立ちますな。結論、俺は死ね。