20090829晴れ

会社のヒトの関係の引っ越し作業他。

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健全な保守は農村にこそあると思っている。これは日本もそうだし諸外国でもそうだ。アメリカもイギリスもドイツも、保守の政治の根幹には農村の大きな支持がある。これは農村が自立していることと、農業という業自体が持つ保守への根本的な親和性があるのだと思う。
農村がおかしくなると社会そのものがおかしくなる。戦前、翼賛会へと続く道。農村は資本主義に呑み込まれ、のたうち回った。農村の崩壊に際し、農本主義者たちは様々な道を模索し、一部は国家主義への道へ突き進んだ。困窮する農村は、軍部の地に足の着かない薄ら右翼や運動家に引きずられ、あの戦争へと突き進むこととなる。農村から多くの若者たちが戦争へ駆り立たされ、あるいは大きな傷を負い、あるいは死んだ。
戦後の復興の根底には農業の再興があった。制度の見直しが図られ、多くの農民たちが新たに土地を開いた。それと同時に農村の子弟たちは街に出、トヨタなどの世界的な企業の礎となった。日本は大きい発展し、世界第二の経済大国となった。街に出た農民たちはそれでも農村を心の底に持っていた。戦後の発展は彼らと共にあり、農村と彼らの持つ健全な保守の心が自民党の安定政権を生み出した。
今、農村はすべてを都市へと吐き出し、高齢化と担い手の不足に悩んでいる。都市へと出た農民の子どもたちは、農村の心をその子供には伝えきれず、世には地に足の着かない保守である薄ら右翼がまみれている。自らの生活に基づかない保守は薄ら寒い。戦前の軍部や運動家が思い起こされる。小泉改革自民党を徹底的に変えてしまった。田中的な利益誘導の亜種と薄ら右翼と都市議員ばかりが残ってしまった。改革は、都市の労働者以上に農村を疲弊させてしまった。
今、自民は下野しつつある。都市だけの動きではない。農村そのものが自民の支持で迷っている。根本的な動きの変化だ。健全な保守の担い手である農村が変わりつつある。その先にあるのは、戦前のような薄ら右翼への農村の吸着なのか、新たな保守の誕生なのかはわからない。そもそも、日本は農村自体が層の薄いものとなってしまっている。農村は、その内容物をすべて都市へと吐きだしてしまった。日本にはもう農村を主体とした健全な保守自体が存在しえないのかもしれない。

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明日は総選挙の投票日である。投票行動はもう決めた。
うちの選挙区。以前は徹底的な利益誘導型の議員が猛威をふるっていた。彼の行動は大いに敵を作ったが、一方で地元に根ざした活動を行っていた。自分は嫌いで一度も投票したことはなかったが、農村に関する危機感を強く持っており、よく勉強もしていた。実際に大臣となってからは、変化を嫌う農民の反感を買いながらも、次代のあるべき農家の姿を積極的に提示していたとも思える。が、彼は死んだ。彼の後に立った自民議員はもともと彼のアンチとして選挙に立っていた。地元に根ざし、草の根選挙を戦いきった。それが彼を当選へと導いた。更にその対抗馬の民主候補者は、大手企業出身のエリートで、全く地元に根ざしていなかった。顔すら見えない、地元の人間としては幽霊のような候補者だった。だから前職に圧倒的な差を開けられ当然のように敗れた。
あの選挙のあと、前職議員は全くの人畜無害な存在だった。存在感が全くなかった。民主候補者は、少しは地元に根ざしはじめたようだが、それでも伝わってくるものがなかった。今回の選挙はその自民前職と、民主候補者、そして元自民議員で地元に根ざした無所属候補が戦う。農民票は地区で割れた。新興住宅街は民主候補者へと有利に動くだろう。戦況は、自民票が真っ二つに割れたために、自民前職と民主候補者が拮抗しているらしい。しかし、どちらが勝ってもそれほど期待できそうにないのが哀しいところだ。
投票は、自分の立ち位置に従って行うことに決めている。展望はないが、意思は示すべきだと考えている。