祖母の葬式

朝6時に起床。外を見やると雪。5cmは積もっていただろうか。一面銀世界。実家のまわりを散歩すると道路が凍結しておりつるつる滑る。車に積もった雪を手でどける。フロントガラスにお湯をかけ、いつでも出られる様に準備する。ニュースでは八女〜筑紫野間の九州自動車道が不通であるとのこと。JRで行く事も考えるが、兄はJRでは行かないだろうなと、あきらめ気分。
8時過ぎ、兄を起こす。八女〜筑紫野間の不通を告げると、昼前には開くだろうと出発を延期。10時過ぎに出発。八女まではすいすい行くが、そこからが開かない。直前の山川PAで11:30まで待機するが、開かなかったので下道を行く事に。下に降りると大渋滞。3号線を避け、209を行くが、こちらも厳しい。みんな考える事は同じだ。まわりを見ると雪が地元よりもひどい積もり様。これなら仕方ないかなと思いつつ、渋滞行脚。歩いた方が早い様な進み方。
あまりにひどいし、12時からの葬儀に間に合わないということで、兄はそのまま車で行き、自分は西鉄で行く事に。試験場前から西鉄に乗る。が、直前で電車が行ってしまう不幸。10分ほど待ち、普通に乗り込み、久留米から急行に乗り換える。目当ての駅に着き、そこから別路線に乗り換えようとしたところで、母からTEL。葬儀が終わり、火葬場に行くという。で、駅からタクシーを拾って火葬場へ行く事に。タクシーに乗ったところで、兄からもTEL。ほぼ同時に駅についたから乗っていくかとのこと。もうすでにタクシーに乗った後だったので断った。
火葬場に着くと、ちょうどお棺も着いたところだった。西鉄タクシーだったのでnimocaで支払い、飛び込む。最後の祖母の顔を拝む事が出来た。(まあ、昨日の通夜でも見てるけど) この長期間の入院が嘘の様な、安らかな顔だった。最後にお別れをして、別室待避。1時間半ほど、焼けるまで待つ。その間、親戚と話しをした。今ではすっかり会わなくなった顔顔顔。初めて見た人も多い。各地の、自分と同じ名字の人たちの話題など。初めて見た従兄弟の子どもたちはそれぞれ個性的だった。
焼き上がり、骨を拾う。祖父の時は大きな骨がそのまま残っていたが、祖母のそれはほとんど残っていなかったし、残っていたものもとても脆かった。逆にそれが、彼女が楽になった証のようにも思えた。感慨もあまりなかったが、それは自然に死を受け入れられたからだろうか。祖父の時の感情とは大きく違っていたのが印象的だった。あれから十数年か。
葬儀の後は本家で祭壇作り。親戚一同で、祭壇の前でお寿司を食べ、話しに花を咲かせる。父は少し憔悴していた。結局、昨日は寝ていないし、その前の日も準備に大わらわだったのだろう。従兄弟の子らに、ちょっと早いがお年玉を渡しておいた。会合も終わり帰途につく。父は、隣組の人たちを迎えるためにもうしばらく残るとの事。
高速は13時には開通したらしい。帰途、久留米辺りではまだ雪が降っていた。18時過ぎに実家着。着替えて寮に。19時30分からのナムコワンダーシティ南熊本の年越しダンコンに間に合って、21時30過ぎまでそれを見る。とても寒く、身体の芯まで冷えた。23時45分まで紅白を楽しみ、近くの神社まで歩いて初詣。ほんの少しの間に雪が積もってて驚く。
バタバタした年末。