@mfluder_kurage: 劇団ハーベスト第3回公演「位置について」 3月27~31日公演 / “hervest201303” URL
@mfluder_kurage: そう言えば、西内まりやの「まりやまにあ」を買いました。ぼちぼち読みます。
@mfluder_kurage: ねーむーいー
@mfluder_kurage: 今日のgoogleトップは瀬戸大橋開通25周年か。何の縁か意識したこともない岡山に住むことになったので、そう言うのも良いなと思っている URL
@mfluder_kurage: そういえばGEMの「Do it Do it」ってまだCD発売されてないのかな。
@mfluder_kurage: 昨晩からずっと、魅力とは何だろうと考えてます。魅力は魅力でも、身体的な魅力なのがゲスい所なんですが。
@mfluder_kurage: 自分のことです
@mfluder_kurage: その先に何かあると思ってるの?何もねーよ。お前しかいねーよ。あとはお前がどうするかだけだよ、みたいなことを考えました
@mfluder_kurage: 変わりがない、か
@mfluder_kurage: 物語性というものはそれが普遍的であろうが無かろうが自らの単純作業に対し正当性を担保するものでしかないし、その物語性が有ろうが無かろうが自らの作業そのものが卑小であることには代わりがない。
@mfluder_kurage: そろそろ桜のピンクに緑が混じった風景が見えだした。その不協具合は一見目に毒であるが、その不協調には確固たる「生」が存在する、不協具合の気味の悪さの奥にある躍動感に、時々からだが震える。これを突き抜ければミドリのサツキ!
@mfluder_kurage: 虚妄
@mfluder_kurage: あ、ドラマ「幽かな彼女」のことをすっかり忘れていた。
@mfluder_kurage: 語ることは罪なのか。凡夫が語るというのは邪法でしかないのか。
@mfluder_kurage: 自らの感じる美と、それを受け取るものの美と、その先にあるものの美と。綿々と尽きることのない本物の美。永遠の美とはなんだろうか。それは、自らの感じる瞬間瞬間の美と等しいものであるだろうか。それならば本当に良いのに。。。
@mfluder_kurage: 自分の感じる美とはなんなのか。それは自分の視線の先にしか存在しない。表現の先にあるのは、自ら開拓した美の延長にしか存在しない。一方で、それを捉えるものの美はその先のものの美の延長にしか存在しない。
@mfluder_kurage: ニコパチは一面の美ではある。ではそこに自らの感じるままの美は存在するのか。いやそれは一面の美にとどまる美でしかない。自らの琴線に触れる美とはまた少し違った美である。
@mfluder_kurage: その美は永遠であるが、次の瞬間には消え去る。その消え去る定めの美をどう自らの身のとどめるか、更にはどう社会的な美にするかは、その後の自らの昇華に現れるのではないか。
@mfluder_kurage: 世の中の美には、とくに周辺にある美には、じっと見続けてはいけないものが存在する。それはふと見た瞬間の美の自らの内に止めることでその瞬間の美を永遠とすることが出来る。
@mfluder_kurage: ユーモアと悪ふざけの違い
@mfluder_kurage: まだ火曜日なんですね。
@mfluder_kurage: 帰宅。二次会に行こうかな?、行かまいかな?、と思いつつそのまま帰ってきました。