九州街道物語「九州第九物語1 俘虜収容所〜久留米市」

諸説有る日本の第九演奏歴史のうち、久留米の俘虜収容所発祥説を紹介。第一次世界にて日本軍の捕虜になったドイツ兵たち。6カ所作られた俘虜収容所のうち、久留米では1136人と最大数を収容。戦闘のあった青島に近いことと、熊本・福岡の師団や久留米の連隊が戦闘に参加したことが最大になった理由としてあげられる。収容所のドイツ兵たちは比較的自由が認められていた。そして久留米の収容所は2つのオーケストラが生まれる。一つはポピュラー音楽を演奏する小規模な「収容所楽団」。そしてもう一つが、本格的な編成でベートーベンやモーツァルトを取り上げた「シンフォニーオーケストラ」である。音楽は19世紀以来ドイツの伝統であり、弾く方も聞く方にも精神的な支えとなる。演奏会の回数は5年の間に200回をこえた。一次大戦が終わり収容所の閉鎖間近の頃、塀の外での演奏の機会が訪れる。久留米高等女学校にて、1919年12月3日、収容所の楽団員45人が来校して演奏会を開いている。プログラムはモーツァルトワーグナーなどから全9曲。その中にはベートーベン交響曲第9番第2第3楽章が含まれていた。第九の日本初演徳島県の板東収容所にて「ドイツ人向け」に一部大正8年になされたとされるが、日本人聴衆が初めて聴いた第九は久留米のドイツ兵捕虜によるものとされている。演奏会から3ヶ月後、久留米俘虜収容所は役割を終えて閉鎖。祖国への帰国の際、楽団員たちは現地にて一部の楽器を処分。その中のティンパニーとホルンは、日本人で初めて第九の演奏を実現したと言われる「九大フィルハーモニー・オーケストラ」に買い取られた。来週はその日本人初の第九の演奏について。
いや〜、なかなか興味深かった。徳島の俘虜収容所での初演は知っていたが、久留米での対日本人の初演は知らなかった。そしてドイツ人俘虜収容所についても、豊富な写真資料をこれでもかと紹介しており、その雰囲気からよく知ることが出来た。なかでも、当時のプログラムや楽団員の写真、収容所内の祭りの様子(ドイツ人が日本の衣装を着てコスプレをしている)が興味深かった。