20081019晴れ

転勤属(族)である父の影響から幼稚園は2回変わった。その最初の幼稚園のときに書いた将来の夢は「宇宙飛行士」だった。その後、小学校高学年になるまで将来の夢は宇宙飛行士で、高学年になってからは周りの顔を見ながら「弁護士」と将来の夢を書き換えた。そのあとは、紆余曲折成功と挫折を味わいながら、今は***として日々を過ごしている。宇宙飛行士も弁護士も、結局どうでも良かったのだ。「そういうものだな」と思いつつ日々が積み重なっていく。
先日は当社の某部署の方から「うちに入ったって聞いたよ」とメッセージを聞いたりした入社5年目。小学校低学年の頃、隣に住んでいた姉妹の父親の方からだ。ちなみにその幼なじみはもう結婚もしているそうで、もう20年近くも会っていない。思い出すのは幼き頃の面影と印象ばかりで、時の流れの不思議さに困惑ばかりを覚える。
幼少期に抱いていた夢はそれほど崇高なものではない。宇宙への憧れというものも程々のもので、普通の人に毛がついたほどのものだ。最初に宇宙飛行士というわけのわからないけれども凄いといわれているものへの憧れがあり、それに付随して苔むすほどの知識がついてきた感じだ。そういった状況であるため、夢やぶれても「そういうものか」という感想しか出ないのが寂しい限りである。結局その程度の願望だったのだな。
なんでこんなことを思いだしたかと言えば、漫画の小山宙哉宇宙兄弟」に手を出したからだ。既出版の単行本3冊。自らの夢とその実現に進む登場人物たちを見、自分の進んだ道を顧みたりしている。
30年弱の自分の人生を振り返ってみると、これといった才能無く、頑張った分の64掛けが自分の実力となったに過ぎない。しかも高ずるにつけ怠け癖ばかりが身体に身に付いていく始末。高校以降、諦観の中さまざまなことを試みもせずに、ただ流れに身を任せてきたことを否定できない。世間的にはそれほど失敗とは言えない職にはあるが、それが何だというのだろうか。
今の私は「宇宙兄弟」を読みながら、擬似的に自分の意思を強く持ち才能にあふれた過去の日々を空想するに任せるのみである。休日にそういった妄想を千々に乱れさせながら、平日には淡々と自分の仕事をこなし仕事と周りとを顧みながら、日々過ごすのである。
悪い人生ではないのかもしれない。だからといって、それがどうだというのだろう。