Denkikanで視聴。
素晴らしい作品だった。
やもすれば、見たくないものは見ず、触れたくないものには触れなくなる。個人でそうすることは一種の合理性があるが、それが社会全体を覆うと人はあっという間に自分たちが行った「見たくないもの、触れたくないもの」を忘れてしまう。
それを避けるためにも、それに気づいた時点で、告発し法廷で議論し罪を確定しなければならない。
映画としての構成がとても上手い。うなるほど。きちっと、かちっと作られている。
主人公は途中で「絶対悪」を見つけて、それにこだわって目的を見失ったりもする。しかし最終的には、「絶対悪」に比べると犯した罪は低いが、確実に被害者たちを肉体的にも精神的にもそして命さえも奪った多数の小悪党たちを一人一人告発していくこととなる。それは、戦後に普通に生活をしているおじさんたちだったり教師だったりする。「顔のないヒトラーたち」がそこここに溢れているのだ。それを告発することで事象を「面」で捉えることができ、社会として「なにをやってしまったか」を再認識できる。
それができたのがドイツで、それができなかったのが日本なんだなと。
個人に残った記憶はその身を焼き生涯忘れることのできない傷として心を蝕む。でもそれは個人にしか残らず、社会はすぐに忘れてしまう。だからこそ、その時点で告発して罪を確定する必要がある。それをすることで、個々のヒトラーをあぶり出し、そうすることで社会全体で忘れられない「記憶」にすることができる。「歴史」とは違う、社会の体験としての「記憶」。
いろんな気づきをあたえてくれた素晴らしい作品だった。
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