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笑っていいとも! が終わるという

2014年の春に終わると言うから、あと5ヶ月は続くのだ。ただし、その5ヶ月の間に、自分が番組を見ることは多分ないだろうから、感じたことなどを書き記しておこう。
笑っていいとも!」なんて、何年見てないだろうか。意識して見た最後は大学生の頃だろうから、もう10年以上、しっかりとは見ていないはずだ。いや、むしろちゃんと見てたのはもっと前、小学校高学年や中学生の夏休みとかだろう。となれば、もう20年はしっかりとは見ていないはずだ。
となれば、話は自然と昔の思い出話になる。そう、このニュースを聞いて思い出したのは、20年は前になる、小学校高学年から中学生の頃のことなのだ。その頃は確かに楽しく見ていたのだ。それを積極的に見なくなったのはいつだろうか。面々と続く毎日の中で、徐々に見なくなったと言うことだろう。
見なくなったのは、まずは明石家さんまが出なくなったことから家族がいいともから離れたのも原因があるだろう。ただ、その頃のさんまはトークにこだわるあまり、自分は、その場は面白いが全体で見ると合ってないなと思っていた。さんまが辞めた後しばらくは楽しく見ていて、中居くんがメインをはる頃ぐらいまでは覚えている。その後がほぼ印象がないと言うことは、そのあたりが自分の最後の認識なのだろう。
中居くんと言えば、この終了の発表時現役のいいとも最古参レギュラーである中居くんと鶴瓶がそろう時を狙っていたという話題も見た。自分が意識的に見なくなった頃の人が最古参でほぼ唯一というのは、何かしら感じるところがある。時の流れで見ると、タモリはほぼ一人なのだ。一方で、時代の流れに合わせてその時々の人と交流を深めたと言うことでもあるのだろう。
何かよくわからない話になってきた。
視聴率的に言うと、自分が見てた頃が最も数字があった頃らしい。他の人と同じ行動を取っていたと言うことだ。
まあ、それはそれで良いとして、長寿番組の終了を知るニュースで個人的に感じたことが、個人的な思い出でしかないと言うことはなかなかに興味深いことだった。自分が見ていた頃からさらに20年ちかく番組は面々と続いていたのにだ。自分自身の体験と、社会的なことは、それが絡まりつくところのみが強烈に記憶に残るという証左なのかもしれない。
それはそれとして、このニュースに触れることで、小学校高学年から中学生時代の記憶がパッとよみがえった。なかなかに面白い体験だ。三十数年生きているからこそ出来る体験でもある。一方で、社会的には何も役に立たないものでもある。でも、それも良いかもなと思う。年を取ったと言うことだろう。
こういうことが、その年を取ったことに触れる体験の最初の一歩なのかもしれない。こういう体験が積もり積もるとあまりよろしくないとは思いつつ、まあ最初の一歩だ。じっくりかみしめよう。かみしめた上で、あまり思い出に浸りすぎる老害的なものにまで育ててはいけないななどと、つまらないことも考えた。