20080903晴れ

昨日の臨店に関しては、無難に終了した。他部のヒトに「上々だったらしいじゃない」と言われ、その結果を知る。隣の某店舗では散々だったらしく、今日もまた引き続き強化版の臨店らしい。昨夜は19時には帰宅できたものの、やはり疲労が激しく、すぐ寝てしまった。しかし、今日起きてみるとまだ疲れもとれず、ふらふらとした足取りでお店まで赴いた。
トイレから覗く午後の日差しは心地よく、そのまま外に出て芝生に転がりたいなどと思うが、仕事は相も変わらず過密のため、0.8秒ほどそのようすを想像するだけで済ます。面白いと思うのは、こういう素晴らしい天気の日に外にも出ず、ただひたすら仕事に打ち込むという日々であり、そうしないといけないという今の現状がある。この落差というのは本当に面白い。それこそ人間だってほどに面白い。
18:30帰宅。どうしても外に出たくってお買い物に行く。寮で食事をとったため、ココイチではハーフカレーをとり、自らの欲を満たす。どうしてもカレーを食べたい気分だったので無理して食べたのだ。TSUTAYAでお買い物。目的のAiraMitsukiのアルバム通常版がなかったので、目についたALI PROJECTのアルバムを購入。アニメにて目がついただけなのだけど、なんだか買いたかったので、財布は軽かったが購入。あと、nicloaとニコ☆プチも購入。ワインと肴を買って帰宅。明日も明後日もお仕事だな。
行き帰りで車を1時間ほど運転していたんだけど、その間、また「青い鳥」を見たいなとおもった。あと、「青い鳥」繋がりでミュージカルもいいなと思ったし、良レポートエントリも数々みたのでひまわりの「銀河鉄道の夜」DVDは是非買いたいと思った。っていうか、「青い鳥」のDVDとか出ればいいのにな。。。色んなところをもっともっと見てみたい。細かいところも全体の雰囲気も。全部で4公演しかないものだったからねえ。録画はしてたからなんとかならないものでしょうかねえ。。。
某素敵エントリを読んで、祖父の死去を思い出した。祖父が亡くなってもう10年ほどか。あのころ浪人中だった自分は、その報を予備校の講義中に聞いたのだったなあ。祖父との関係は強いというものではなく、盆正月に会うというほどであったが、その死に衝撃を受けたことは確かだ。直前に会ったのは、夏休み中に病院にお見舞いに行ったときか。あの時、兄とふたりで初めて会いに行ったなあ。病院での祖父は、会ったときこそまで就寝中であったが、起きたときにはまだ元気で、話し出すほどに話の内容はしっかりしていて、まだまだ大丈夫だといった印象を持ったものだ。ただ、やっぱり表情はやつれ気味で、ベットに力なく横たわり眠る祖父に衝撃は受けたことは覚えている。その後だいたい一ヶ月ほど後に祖父は死去し、通夜・葬式・火葬まで立ち会った。今思い出す祖父の顔というのは、その顔つきははっきりとは思い出せないものの、ふさふさと豊富な白髪と、ひょろりとした体躯、そしてなによりも心安らぐ笑顔。戦中戦後とかなりの苦労をしてこられた方で、葬式にいらっしゃった戦友の話などを聞くに大変な経験をしてこられたかたなのだが、それらのことは一切周りに語らず、私に対しても父や近い親族に対しても戦争の話は一切しなかった方だ。一日をその亡骸のある棺のそばで過ごし、時の進むことの遅さを感じたのを覚えている。火葬場に運ぶ際のその棺はとても重く、生の重みというか死の重みというか、その存在の重みを感じたものだ。火葬場でなの亡骸は高温の炎で綺麗に焼き尽くされ、美しいほどの白い骨になったのには単純に驚きを覚えた。ヒトという存在が本当に骨になるのだと驚くと同時に、その余りに立派な骨格に、祖父の戦争にも耐えて耐えて、戦後にも子どもを育て上げ多くの孫の顔も見続けた後に大崩御をとげられたその身に刻む歴史を見た思いがした。こんなにも立派な骨があったのだなあと。それだけに、さくさくと箸で刻まれた後の、骨壺におさまれた骨の少なさにも驚いたのだが。。。骨壺に残されたお骨はほんの僅かで、ほとんどの骨については処分をされるという。その差を感じて戦慄もしたのだが、肉体自身は高熱による化学作用により大いにその質を変化させられ目に捉えられない状況になったのであり、それとほかにただ捨てられる骨との間になんの差があるのだろうかと思い自らを納得させた。ただ、心情の中では同意せざる部分が大いにあり、その点では土葬というのは納得のいくものであるものだと思ったのは懐かしい。しかし死は日常にあり、死して後も祖父のあの笑顔の雰囲気は相変わらずぼくの心の大きな部分を占め、日常ではあらわれないものの、その意思については裏切らないようただ生きていたいとの思いは強い。なんというのか。ぼくの一部は生者によっても生きているし、死者によっても生かされているのだなあと最近は強く思ったりもする。うちの家系は田舎の水呑百姓の家系なのだけれど、そんなことは関係なく、家族の歴史はぼくのものであるし、だからこそぼくだけのものであるというほこりのようなものを感じたりもする。家族親戚の誰にも渡すものかっていった感じかま、それ自体ありふれたものであるとは思うのだけどね。でもやっぱり特別だし、この胸の中にあるものについてはちゃんと墓場まで持って行こうと思っているんだよね。
取りとめのない話になってしまったな。でも色々なことを思い出して思いにふけることが出来たので、本当に有り難いことだと思う。ありがとうございます。