スクゥエア

この四角の白い世界に何があるというのか。
まず、僕がいる。僕にとって、何よりも大きな存在である僕が。
そして、君がいない。何よりも大きな存在である君がいない。
僕は君を見つめる。そこには居ない君を。
喪失とは言えない。何しろ、君は初めからそこには存在しないから
それは首にまとわりついててくる、ある種のあの感覚に似ているのかもしれない。
安堵と恐怖と喪失。いや、喪失はそこには存在しないか。
何も失っては居ないのに感じるこの喪失感は何なのだろう。
喪失という一般的な認識に似ている、また別の感情なのだろうか。
そこにあるという幸せ。そこにあるという苦しみ。
すべては相殺され、達観した後には何も残らない。
僕は君を見続ける。そこには存在しない、確かな君を。
君の目線から僕を見る。でも、それは間違いなく僕の目線だ。
君の目線で交みたいと思う僕を見続ける。
そして君はそこには居ない。君は存在しないからだ。
僕は僕の目で君を見ている。
君の目を借りることで、僕は見たい自分を確定させている。
でも、君は存在しないし、その君の目を借りてみた僕なんて、存在のかけらすらない。
つまりは、僕の存在というものは僕の認識に寄っていて、それ以上でも以下でもない。
僕は僕の中でしか存在しないし、君の見る僕は僕の見る僕でしかない。

君の存在が与えてくれる僕の勇気。
確かに感じる君の存在。
それらはすべて頭蓋骨の内側でただ繰り広げられる君と僕との会話とスキンシップ。
くるりと回った僕の内側にある永遠の存在である君。
あぁ、なんと美しいのだろう。
あぁ、そして、なんと力強いのだろう。
そして君は存在しない。
永遠に君を求め続け、脳内で作り続ける僕が居る。

人は何のために生きているのか。
生きるために生きている人類という生き物。
それを断言できるのが自分である。自分の生き方である。
そう。君だって、そのための仕組みの一つだ。

僕はひたすらに君を愛する。
そう。君という存在はこの世に僕の脳内以外には存在しない。
ぐるっと回った、この僕の内側の世界以外には君は居ないのだ。

僕は君を愛する。
そこにいる君を。
そこにいる僕を。
そこには存在しない君を。